旭舎文庫と命名。近隣内覧会が開催されました。

■近隣内覧会を開催しました

存続の危機にあった「かどみせ」を氷川神社で取得し、調査や設計等で一年、復原工事に二年掛かりましたが、先週7/29(土)と30(日)に「近隣内覧会」という形でお披露目することができました。
大勢の方々がいっぺんに入れるほど広くはなく、「この建物は地域のために在りたい」という山田宮司の強い想いから、事前告知は近隣自治会への回覧のみに絞り、このブログで報告という形を取らせていただきます
 
[地元の方を中心に、多くの方にお越しいただきました。]

[初日、挨拶を行う山田宮司。]
お越しいただいた多くの地元の方からは、駄菓子屋だった当時の話を伺うことができました。
「かどみせ」「かどや」「かど」「さかうえ」といった当時のお店の呼び方や、「この辺にこういう商品が並べられていて…」「おじいさんはいつもここに座っていて…」などなど。
中にはいつもおまけをくれたので、お店を「おまけ」と呼んでいたという方も。

[来場者と語らう山田宮司]

■建物案内も行われました

この近隣内覧会では、設計や調査を担当した専門家による建物案内も行われました。
この建物は外から見るとひとつに見えますが、実は3つの異なった造り方が融合した建物で、半分から西側が土蔵造り、北東側が塗家(ぬりや)造り、南東側が真壁町家(しんかべまちや)造りになります。
屋根も西側が寄棟(よせむね)、東側が入母屋(いりもや)になっています。

[構造模型を使って説明する専門家]
なぜこのように融合された建物になったかというと、別のところで使われていた材料を再利用した転用材を使ったことに起因すると考えられます。
一説には、ここに川越城の杉戸絵があったことから、廃城した川越城の部材が使われているのではないかという説もあります。

[二階の小屋組を見学している様子。(普段は2階へは上がれません。)]

■旭舎文庫と命名

山田宮司は熟考を重ねた結果、この建物を「旭舎文庫(あさひのやぶんこ)」と名付けました。
“旭舎”とは、この建物が建てられた江戸時代末期から明治初めごろに、氷川神社の宮司であった山田衛居(もりい)の別号です。
衛居は国学者であり画家・歌人でもあり、教養の高い人物でした。
衛居が日々の出来事を綴った「朝日之舎日記」は現在展示中です。伝統文化と文明開化の渦巻く明治の川越の様子が克明に記されています。

[展示されている「朝日之舎日記」]

■今後は『地域に開かれた読書館』として

今後、この旭舎文庫は、川越の郷土を学べる地域に開かれた読書館として、また、北部市街地を中心とした観光案内所として、当面は『金・土・日の10時から17時頃まで開館』していく予定です。
この通常開館のほか、講演会などの企画も検討中です。
お近くの方、またはお近くにお越しいただいた方、是非お立ち寄りいただけたら幸いです。

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